地名の由来を紹介していたら、朽飯、領家…
藤木が抜けている!!!
とご指摘をいただきましたので、藤木の歴史のご紹介!
為永さんが執筆したものです。
『明治22年、服間村発足に伴い、役場が藤木区の成田藤左ヱ門氏の邸宅を借りて設置された。
役場は明治36年、区の外れの隔離病舎跡に移転、昭和30年の今立町迹合併まで続いた。
明治45年、服間村内の四小学校が統合して、服間小学校が発足、その校舎は藤木区に置かれ、現在に至っている。
藤木区は永い間、服間地区の行政、教育の中心地であり、それは区民の誇りでもあった。
戸数、人口の推移は、
明治42年 30戸、156人
昭和30年 29戸、136人
だったが、平成16年8月現在 26戸、111人。
過疎が進行している。(為永幸高)』
藤木町は、服間の中心地!
服間の人は、藤木で育つといっても過言ではありませんね!
いつまでたっても、住民の、地区の誇りとしての藤木町であってほしいですね!!
《藤木町といえば??》
★服間小学校のホームページ
★服間幼稚園・保育園のホームページ
★服間公民館のホームページ
★服間郵便局
★乙部商店
★南越ミート
wrote 会計補佐