残したい 伝えたい ふるさと服間 と題して、「服間ふるさとかたりべ会」が作成した冊子。
そこには、多くの服間の歴史や文化が記されていました。
ということで、このブログでも、少しずつ紹介していきたいと思います。
本日は、朽飯(くだし)町の地名の由来を、朽飯町の上道さんが執筆していましたので、それを紹介します。
『そもそも「くだし・朽飯」の地名は、読み方にしても文字にしてもまことに珍名、奇名である。
以前に福井新聞の書籍広告「福井県の珍名集」に武生の「余田(はぐり)」と「朽飯(くだし)」が例として出ていたほどであるが、未だにハッキリとした生い立ちを聞かない。
しかし、通説として「むかし、むかし」ある旅人がここの裏山の峠に来たとき腹が空いたので腰のおにぎりを広げた。何時もなら大丈夫だったおにぎりが、ここではもう腐っていた。
「この地は飯が朽ちるところだ」と言い、これを食べた旅人は腹下しを起こした・・・
これが「くちるめし」から「腹くだし」・・・「くさるめし」・・から「くだし」が生まれたと言われている。
又の説としては、大昔に朝鮮の「高句麗国」と「百済国(くだらのくに)」の戦争により「くだら」から追われ、日本海を流れ着いた落ち人たちがこの地に逃れてきて住みついたので「くだら」がなまって「くだし」となったとも言われている。
朽飯八幡神社の由来記によると、顕宗天皇の御代(485〜487)に「百済国」の恐理使主(奴理能美)(ぬりのおおみ)の孫で阿久太の男の弥和(みわ)をはじめ機織姫達が渡来し、この地に養蚕と絹織物業を広め発展させた事と、奈良時代の神亀三年(726)「正五位八架神」の神宮寺として「朽飯寺」(きゅうはんじ)が創建されていることから「朽飯」の文字は古来から生まれていた事がうなずける。
ただ「くだし」との読み方については、「くだらのくに」からと、先の「はらくだし」の背景からの結果かと考察できる。又「くだら」からの落ち人達の隠れ場所として、追手からも「嫌な場所、不吉で怖い場所」としてカモフラージュするにはもってこいの地名とも言えるのではなかったかと、愚論かもしれないが憶測としたい。
(中道 修)』
朽飯って他地域の方はなかなか読めませんよね…
皆さんも地名について考えた事ってありますか??
wrote 会計補佐